介護の悩みへの対応

介護を経験して学んだ生きるということ

介護が身近にある生活

私は幼少期から現在にかけて、介護とは切っても切れない生活を送ってきました。

最初はパーキンソン病になった祖母、肺がんを患った祖父、そして現在は母の介護を任される身です。

子どもの頃に初めて見た介護は、大人たちが大勢で一人の大人を支える姿でした。

それが今、自分が大人になって母の介護をするようになってから、いろいろと考えさせられる場面に直面して考えが大きく変わりました。

今回は、子ども視点から見た介護と大人になって気付いた介護についてお話ししたいと思います。

子どもの時に見た介護の現場

私が初めて介護の現場を見たのは、まだ小学校に入学して間もない頃のこと。

パーキンソン病を患った祖母に介護が必要になり、周囲の大人たちが総出で祖母を支える姿でした。

当時私はその様子を見て、

「一人を世話するのにこんなに大人が必要なのか。」

と、感じていました。

「どうして歩けなくなったんだろう?自分も同じになるのかな?」

ご飯を食べることも服を着替えることも、ましてやお風呂に入ることも一人ではできなくなってしまった祖母の姿を見ると、まるで赤ちゃんの時の自分みたいだと感じていたのです。

もう親の助けなしで何でもできると思っていた当時の私は、自分は祖母のようにはならないとまるで他人事でした。

しかし自分の生活する周囲には、祖母以外にも杖や車いすを利用する高齢者の方が多く暮らしていてよく目にしています。

私が物心ついた頃に元気だった近所のおじいさんも、家の庭で育てていた野菜を届けてくれていたおばあさんも、今では自力で歩けず後ろに若い人がついています。

「もしかしたら、歳をとったら皆こうなってしまうんだろうか?」

そのような子どもながらの漠然とした単純な考えが、歳を重ねることへの恐怖にも繋がっていたのを覚えています。

大人になって知る介護

私が大人になって初めて介護を自分の身で経験することになったのは、ちょうど自分の30歳の誕生日を迎えてすぐのこと。

それまで元気だった母が脳梗塞で倒れて後遺症が残り、私が介護を任されることになったのです。

生まれてからずっと、自分より大きく頼れる存在だと思っていた母親という存在。

心のどこかで、自分の親は大丈夫だと思いたかった。

それが急に老いと病という現実を突きつけられ、母も例外なく死に向かって進んでいるんだと痛感しました。

いざ介護が始まると、昔祖母の介護の時には知れなかったことが次々に起こります。

子どもの頃に大人たちが行っていたのを見る介護と、実際に自分が介護をするのとでは、見えるもの感じるものも大きく違うもの。

一人の大人を支えるのに何故こんなにたくさんの人が必要なのかと思っていた子供の頃の謎が、自分が介護をしてみて初めて解けました。

育児とは違って、介護は体の大きな大人を世話しないといけないため、一人で介護をするのは到底無理だと気付きます。

何をするのも体力が必要で、次第に自分の生活まで手が回らなくなってしまいます。

私は母親の介護に専念するために、20代から続けていた仕事を辞める決断をしました。

自分の将来に対する不安も膨らむ中、私が一番辛いと感じたのは母親の気持ちを知った時です。

母は手芸の仕事をしていましたが、思うように手が動かせなくなり手芸をぱったりと辞めてしまいました。

それまで好きだったことができなくなるのは辛いことでしょう。

母はストレスが溜まり、たまに私や物に当たる時があります。

しかし、その後に必ず泣きそうな顔で謝ってくるのです。

「ごめんね、どうしようもできない自分に腹が立ってイライラが止まらない。自分でなんとかしたいのに。」

私はその言葉を聞いて、当たり前のことですが、誰も望んで老いや病を受け入れているわけではないことを痛感しました。

いずれ誰もがそうなると分かってはいても、実際に自分がその身に置かれると受け入れるのは難しいと思います。

私は、何の不自由もなく自分のことは自分でできる今のこの状態が、当たり前の状態ではないと肝に銘じました。

生きるということ

人は生まれてから死ぬまで、誰かの助けなくして生きていくことは出来ません。

長い人生を歩む中で多くの人と出会い、助け助けられといった関係になっていくのです。

いつどのような形でそのような関係になるかは分かりませんが、それは誰しも必ずいつか訪れます。

かつては祖母も育児と介護をして、母も育児と介護をして、そして今私にもその順番が回ってきたのです。

私は現在介護をしていて、多くの人たちに助けられて生活できていることを痛感しています。

自分を助けてくれた人を直接助ける側になるとは限りませんが、このような関係は社会全体で巡っていくものなのだと思います。

私はこの恩をできるだけ多くの人に返すため、流れていくこの日常を当たり前と思わず、周りへの感謝と健康に気を遣いながら生きていくことを心掛けています。

なにかと冷え切った話題の多い現代社会ですが、このような恩の巡り合わせがあることについて思い出し、周りに溢れる優しさに目を向けてみるのが大切なのではないでしょうか?